特集・インタビュー
2020年9月1日
資生堂では、「新型コロナウイルス感染拡大の抑制に関して、当社にできるあらゆる可能性を考え、即実行していきたい。」という方針に基づき、化粧品会社である当社の持つ知見・技術・設備を活かし、さまざまな対策を検討・実行してきました。その中、3月末には、手指消毒液を生産して医療現場へ届けるという取り組みが始まりました。異例のスピードで開発・生産をリードしたのは、2019年12月に本格稼働したばかりの那須工場。この難題にいかに立ち向かい、任務を完遂したのか、那須工場で働く3人に話を聞きました。
掛川工場に配属後、1998年より研究所にてファンデーション開発に従事。ベースメイクアップやサンケアなどの製品開発グループリーダーを経験した後、資生堂(中国)研究開発中心有限公司副総経理董事/上海研究所長を経て、那須工場の立ち上げに伴い、2019年2月に那須工場工場長に就任。
2002年入社、鎌倉工場を皮切りに、掛川工場、本社、大阪工場で品質管理業務を中心に担当。2019年7月より現職。今回の手指消毒液の生産では、薬事申請業務を進めた。
2018年7月に入社し、掛川工場で1年間研修を受けたのち、2019年11月より現職。今回の手指消毒液の生産では、ラインリーダーとして生産ラインの管理を担当。
——新型コロナウイルスの感染者が急増する中、資生堂はどのような経緯で手指消毒液を生産することになったの
でしょうか。
3月中旬頃から、ニュースで医療現場での手指消毒液不足が盛んに取り上げられるようになりました。同時に、頻繁に消毒液を使うため「手が荒れて困る」という声もたくさん聞かれるようになっていました。消毒液を生産し、社外に提供するためには、行政機関に申請書類を提出して承認してもらう必要があり、通常は1年半~2年はかかります。その頃、ちょうど厚生労働省からさまざまな規制を緩和する通達が出始め、その通達を見て、既成概念にとらわれず、行政機関と連携すれば早期に消毒液の供給が可能ではないかと考えていました。それと同じタイミングで、当社に経済産業省から消毒液生産の協力要請がありました。化粧品会社として培ってきた製剤技術、申請ノウハウの知見や経験、設備があれば生産は可能だと判断し、那須工場が主体となりグローバルイノベーションセンター、品質保証部などの関連部門と連携して手指消毒液の開発をスタートしました。
田口医療現場で手指消毒液が不足しているということを報道で知り、「私たちにも何かできることはないのか」と思っていました。ですから、不安や戸惑いより、「よし、やってやるぞ」という気持ちのほうが強かったですね。
谷田部周囲の人たちからは「資生堂で消毒液をつくれないの?」と質問されることもありましたが、規制もいろいろありますし、私としては化粧品会社である資生堂ではつくれないのではないかな、と思っていたのです。でも、那須工場で手指消毒液を生産し、自分にその生産ラインの管理を任せてもらえると聞いて、とてもうれしかったです。
長谷川指定医薬部外品の手指消毒液を開発して、1日でも早く医療現場に届けたいとの想いはみんなすごかったですよ。開発・生産することを決めて、1カ月以内に出荷しましたが、これはほとんど奇跡に近いです。特に、薬事申請の書類作成を担当した田口さんは大変だったのではないですか。
田口そうですね。普段なら使う成分が決まってから申請書を作成するのですが、今回はスピードが重要ですから、開発と並行して申請書を作成しました。ただ、1時間後にはすべての状況が変わってしまっていることもしばしばありました。限られた時間のなかであらゆることを想定しながら作業を進めていかなければならなかったので、大変でしたね。
谷田部通常の化粧品は「このような生産方法で、このように検査をして商品をつくりましょう」という過去の類似商品をベースに作られた標準書があり、それに沿って生産ラインをつくっていきます。しかし、今回は生産方法や検査方法が決まらないまま走りながらの検討でした。併せて、より現場で作業がしやすいように開発を担当する部門とギリギリまで調整を行っていたので、工場内の意思統一や、いかに効率的に、タイムリーに進めるかという点で苦労しました。
——処方を開示するという会社の方針を聞いたときには、どのように感じましたか。
長谷川私は長い間、製品を開発する研究員だったので、処方を開示するという思考はまったくありませんでした。だから、この考えには非常に驚きました。研究員にとって処方は資産ですから。
田口今回は薬事申請資料も開示しているのですが、これも通常では考えられないことです。
長谷川今回の私たちの目的は、「全国の消毒液不足を解消すること」です。資生堂だけが頑張っても生産量は限られますし、この目的を達成することはできません。そのために、直川CSNO(チーフサプライネットワークオフィサー)のリードにより、処方も薬事申請資料も開示して、「手指消毒液を多くの企業が生産・販売することにより手指消毒液不足を解消しよう」という経営陣の大所高所の判断がなされました。
谷田部今回の手指消毒液は、単なる消毒液ではなく、手荒れに配慮した処方になっています。資生堂だからこそ開発できたその処方を開示することには私も驚きましたが、理由を聞いて、本当に社会の役に立つ取り組みだと思えました。
長谷川何件か生産に関するお問い合わせがあって「処方も薬事申請資料もウェブサイトに載せていますよ」とお答えすると、皆さん非常に驚かれました。「本当に私たちも申請していいのですか」と聞く方は多かったです。
——今回の手指消毒液の開発・生産を通して感じたこと、学んだことを教えてください。
谷田部通常でしたら、工場主体で新商品を設計することはありませんから、貴重な経験をさせていただいたと思っています。「1日でも早く手指消毒液を医療現場に届ける」というみんなの強い想いが、異例のスピードで出荷することができた原動力だったと思います。この経験を糧に、「メイド・イン・那須」という言葉が高品質の商品の代名詞になるように、これからも精進していきたいと思っています。
田口手指消毒液の開発・生産を通して、自分のやっていることが社会貢献につながっていることを、強く実感しています。そして、医療現場や地域の方々に喜んでいただけたことがダイレクトに伝わってきたことも、力になりました。
長谷川資生堂には、さまざまな領域で経験や知識を積んだ多様性に富んだメンバーが揃っており、それぞれが目的を完遂するまで突き進む能力や精神力を持ちあわせています。その人たちが皆同じ方向を向いた時の底力や瞬発力を、今回のことを通じて、私は改めて実感しました。また、那須工場では通常の化粧品生産に加えて、手指消毒液の開発・生産を行うため、普段は生産に携わらないスタッフも生産ラインに入り、全員でこの消毒液の供給を果たしました。資生堂で働く多くの仲間からも「資生堂が消毒液を生産するというニュースを見て、涙が出てきてしまいました。資生堂人でよかったと思いました」など、さまざまな感謝やエールを寄せてくださり、たくさんの勇気をいただきました。那須工場は生まれたばかりの工場ですが、化粧品会社の工場として今できることに取り組み、消毒液を供給することができました。今回の取り組みは、私たちの大きな自信にもなりました。
那須工場では、4月17日より手指消毒液の生産を開始しましたが、5月以降は、当社の大阪工場(大阪府大阪市)、掛川工場(静岡県掛川市)、久喜工場(埼玉県久喜市)も生産を開始し、毎月合計20万本(約10万リットル)の消毒液を、医療機関などを中心に提供しています。また、8月上旬から、お客さまの要望が多い東京の店舗(化粧品専門店・ドラッグストア・GMS・ホームセンター・スーパーマーケット)にて、手指消毒液の一般販売を開始しました。今後は、市場の環境を鑑みながら販売エリアを拡大していく予定です(2020年8月現在)
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