一人でも多くの人にパーソナルな美容体験を。
資生堂「聴覚障がい者向けオンライン美容相談サービス」
資生堂は、2024年11月に聴覚に障がいのあるお客さまを対象とした「聴覚障がい者向けオンライン美容相談サービス」を開始しました。お客さまが望む方法を相談しながらビデオ通話で45分間、1対1の美容相談が受けられるサービス。自宅などの好きな場所からゆっくり利用できるのが特徴です。今回はサービス開始に至るまでの取り組みや、今後の展望について聞きました。
話を聞いた人
岡崎 良士(資生堂インタラクティブビューティー※1)難聴者
須崎 陽子(資生堂インタラクティブビューティー)難聴者
Nao(オムニPBP※2)
Saya(オムニPBP)
- ※1:資生堂のデジタル領域に特化し、開発や事業モデルの改革を担う。資生堂のパーソナルビューティパートナー(PBP)が美容情報を展開するSNSやYouTube、オンラインカウンセリングの企画、運用を担当。
- ※2:資生堂の「パーソナルビューティーパートナー(PBP)」のなかでも、SNSやオンラインカウンセリングなどデジタル上のオムニチャネルで活躍するのが「オムニPBP」
「聴覚障がい者向けオンライン美容相談サービス」
オンライン総合美容相談「Online Beauty」※3にて、聴覚に障がいのあるお客さまを対象にした無料のオンライン美容相談サービス。
- ※3:資生堂PBP に気軽に相談できる、オンラインの美容相談サービス
物理的なバリア、心理的なストレスを取り除きたい
―聴覚に障がいのあるお客さまは美容相談にどのような問題を抱えているでしょう?
須崎 美容を取り巻く全般的な状況として、美容情報は美容雑誌やSNSなどを通じ、社会に溢れています。流行の色、メイク方法、成分などは知りたいときに知りたいだけ、アクセスしやすい環境です。ですが、「自分に合う商品は?」「私らしいメイクは?」といったパーソナルなお悩みは解決されづらいという傾向もみられます。プロのカウンセリングを受けたい、というニーズは依然として多いと感じます。
岡崎 聴覚障がいは、聞こえない、聞こえづらいという程度が人によって異なり、口話の方、手話の方などさまざまです。
また、聞こえは環境に影響されます。電車の中、たくさんの人が会話をしているレストラン、音楽のボリュームが大きい場所など、ガヤガヤした場では聞こえづらいことがあります。美容相談を行うデパートや店頭もまた、聞こえに影響が出やすい場所と言えます。
お客さまが「聞こえづらい」ということを店側に伝えるかどうかは、店内の忙しさやご自身の時間的余裕などを鑑みて判断されると思います。店に手話サービスがなければ筆談や音声認識アプリなどの手段を使ったコミュニケーションになりますが、時間がかかってしまう場合が多いです。「美容相談を受けたい」という気持ちがあっても、実際に行動に移すことに遠慮がちになってしまいがちです。
須崎 私も岡崎さんも難聴で補聴器を装用しており、ガヤガヤしている場所での聞き取りづらさを経験しています。そのような体験をベースに、聴覚障がいの方々にとってストレスのない環境での美容相談が提供できないか考えました。とはいえ、聞こえの状況には個人差があり、ガヤガヤが聞こえに影響する程度も人それぞれ。私たちのこの仮説は聴覚障がい者が抱えている共通の問題なのかを検証するため、まず社内外の聴覚障がいの方にご協力をいただきアンケートを実施しました。
岡崎 アンケートの結果、店頭での美容相談に関しては「聞こえの環境」に改善の余地があるということがわかりました。我々は、デジタルの部門に所属していることから、オンラインという特性を通じて、一人でも多くの方にパーソナルな美容体験を提供し、楽しんでいただきたいとプロジェクトを立ち上げました。単に当事者だから気持ちがわかる、ということではなく、やるからにはプロフェッショナルとして取り組みたいと、聴覚障がい者向けの美容相談サービス実現に向けて推進を決めました。
須崎 さらにアンケートからは、スキンケアやメイクの順番、塗り方など、基本的なことが不安、自信がないと感じていらっしゃる方が多い傾向があることもわかりました。「店頭では相談しづらい」というハードルが美容体験を狭めてしまっていると感じました。資生堂はインスタグラムなどSNSを通じて美容情報を発信していますが、こうした基本的なお悩みに対してはSNSではお応えしきれない部分があります。カウンセリングを通して自分に合う商品を見つけ、メイクの楽しさをもっと知ってほしいと思いました。そこで、今回のプロジェクトは、ポイントメイクとベースメイクの2コースからスタートすることにしました。
―手話のできる美容部員はどうやって探したのでしょうか?
岡崎 美容部員(パーソナルビューティーパートナー。以下、PBP)の中で、SNSやオンラインカウンセリングなどデジタル領域で活躍する「オムニPBP」のメンバーからプロジェクトに興味のありそうな適任者がいないか検討しました。その中で、ご両親がろう者で手話にも馴染みがあるSayaさんにまず声をかけました。さらに、Sayaさんを通じて、小学生のとき手話交流を体験したことのあるNaoさんも手を挙げてくれて、2名体制でスタートしました。
10か月の実践練習でスキルアップ。高評価を受け、本格ローンチへ
―カウンセリング方法はどのように構築したのでしょうか?
岡崎 まず取り組んだのは、手話ネイティブではないSayaさんとNaoさんにサービス提供できるレベルの手話スキルを習得してもらうことでした。そのため、ろう者で手話講師の経験がある社員が講師となり、月2回の手話レクチャーを受けるところから始めました。
Nao レクチャー初日には、片言の手話で、私たちが普段提供しているカウンセリングの内容を説明しました。そして、講師の方にその一連の流れを手話に落とし込んでもらいました。
2回目以降は実践です。講師にお客さま役をお願いし、前回学んだ手話を元にカウンセリングの練習をしました。
Saya 2か月くらい講師と練習し、基本的な流れに慣れたところで、次に社内の他のろう者の社員にお客さま役をお願いし、さらに実践練習を重ねました。そこでもアドバイスをもらいながら、わかりやすくお伝えする方法を具体的に作っていきました。
Nao 例えば、塗り方はイラストをお見せするほうが良い、カタカナの多い成分のご説明はチャットのほうがわかりやすい、たくさんある資生堂のブランド名はプレートでお見せしたほうが良い。実践練習を通じて手話カウンセリングの原型ができ上がりました。社外の聴覚障がいの方にも協力いただき、手話練習とカウンセリング内容をブラッシュアップしました。
岡崎 こうして他の業務も行いながら準備期間は約10か月。短期間でのスキルアップは、2人の努力のたまものです。私たちは、「サービスを本格稼働できる基準はどこなのか」という点を何度も議論しましたが、Naoさん、Sayaさんの手話を通してお客さまにサービスを提供したいという強い気持ちと、2人の高いモチベーションがすべての問題をクリアしてくれました。
プレオープンの1か月間、お客さまからいただいた評価のほとんどが5段階評価で「大満足(5)」でした。こうした結果を得て、確かな手ごたえとともに自信を持って本格ローンチとなりました。
心も豊かになる美容体験を提供するために。
手話も美しさにこだわる。
―接客用語としての手話はどのように準備しましたか?
須崎 美容ならではの表現については手話辞書で調べたり、ろう者の方に質問しながら実情を把握し、社内外のろう、難聴の方にお客さま役になっていただき、実践を繰り返し検証していきました。
例えば「毛穴」という言葉ひとつをとっても、「たるみ毛穴」「ゆるみ毛穴」などいくつもの種類があります。その違いを効果的にどうお伝えするか。また、資生堂独自の商品である「ファンデ美容液」など新しい概念の表現も課題でした。さらに、「化粧水」といったすでにある表現なども、より資生堂らしい表現とするにはどうしたら良いかなど、自分たちで考え、実践で使いながら修正し、地道にひとつひとつ作り上げていきました。手話もひとつの言語であり、同時にろう者の文化を形成しています。私たちはその文化に敬意を払い、深く理解することに努めながら作業を進めました。

「化粧」の手話表現
両手のひらの指を伸ばし、化粧をするように頬を上下にこする。

「水」の手話表現
手のひらを上に向けて開いた右手を、軽く上下させながら水平に左から右へ動かすことで、水の流れを表現。
「化粧」の手話表現と合わせて「化粧水」と表すことがある。

資生堂における「化粧水」の手話表現
―資生堂らしさにもこだわったのですね。
須崎 資生堂の接客をご体験いただくので、「美しい表現」にもこだわりました。美容の体験を心から楽しんでいただくために、腕の動かし方や指先、表情までが優雅であること、手話表現に資生堂のブランドアイデンティティを込めました。例えば「紹介」という単語。私たちはそこに「プレゼントをするような」という丁寧な気持ちを込め「紹介いたします」という手話表現を採用しました。優雅な手の動きに加え、柔らかな表情に口もとは通常よりも大きく開け、ゆっくり話し、口の動きがわかるようにしています。
Saya 手話はフレンドリーでストレートな表現をする文化があります。例えば「できなくはありません」とご説明すると「できるの? できないの?」とお客さまを混乱させてしまいます。英語と日本語のニュアンスの違いと似ているかもしれません。はっきり伝えて欲しいというご要望にどうお応えするか、強すぎる表現になってしまわないか、心地よい印象をご提供できるのかと、今も試行錯誤しています。
須崎 サービスを体験したお客さまからは「わかりやすい」「表現がきれい」という感想をいただいています。美容カウンセリングを受ける価値、資生堂らしさ、手話という言語を通して美容文化を醸成する土壌づくりはできたのではないかと実感しています。とはいえ、言語の世界は奥が深く、私たちの手話表現に満足しているわけではありません。お客さまに感想を伺いながら、これからもコツコツ改善し磨き上げていきます。
わかりやすさと、安心感。お伝えしたいという気持ち。
―カウンセリングではどのような点に気をつけていますか?
Nao 聴覚障がい者向けオンライン美容相談サービスでは、事前にアンケートにご回答いただき、ご相談内容を把握します。通常のオンラインカウンセリングより15分長い45分に設定。伝わりやすさを重視し、お伝えする手段は内容によって手話、イラスト、チャットを使い分けます。また、画面越しでは奥行き感が上手く伝わらないため、前後の動きのある手話は左右への動きに変えるようにします。
障がいの有無にかかわらず、お客さまのご要望に応えたい気持ち、「きれいにしてさしあげたい」、「お伝えしたい」気持ちが工夫を生むと思っています。
Saya 最初のご挨拶で「手話を勉強中です」とお知らせします。そして、私の手話がきちんと伝わっているか、カウンセリングの進行が早すぎないか、ご不明点はないか、お客さまに確認しながら進めるようにしています。
また、カウンセリング中は私が何をしているのかすべてお見せするようにしています。例えば、化粧下地の色を見ていただく時はふたを開けるところから、イラストを描く時は画面に映る画角で描くようにしています。聴覚障がいの方は視覚的な情報がすべてですので、通常、お見せしないところも見ていただくことでお客さまに安心していただけるよう気を配っています。
―お客さまからの反応、今後の目標を聞かせてください
Nao 「楽しかった!」「商品買ってみます!」というお声をいただいています。私は手話が第一言語ではないため不安がある分、こういったお言葉をいただけるのはうれしいです。手話を通じたくさんの方とお会いして、美容のお悩みに応えたいです。困ったら資生堂がいる、ということを思い出していただきたい。そして、手話で美容相談することが当たり前になるくらい身近な存在になりたいです。
Saya これまで相談できず自己流のメイクだった方が新しい魅力を発見して喜んでいただけるのが何よりです。私たちのインスタグラムアカウントや、口コミでご予約をいただくようになり認知度が少しずつ広がっています。手話のスキルをもっと磨き、通常と同じコースを手話サービスに広げたいです。そして、お一人おひとりに合わせた美のご提案を通じて、美容の楽しさを広めていきたいです。
―手話ができるPBPによるオンライン美容相談サービス発足後、社内に変化はありましたか?
須崎 今年、新入社員の手話ネイティブのろうPBP、アンナさんとtamakiさんがオムニPBPに加わりました。聴者であるNaoさんとSayaさん、そして手話ネイティブの2名が切磋琢磨し合うことで、今後、ろう、難聴など、さまざまな聞こえのお客さまに対応ができると考えています。聴覚障がいにはたくさんのコミュニティがあり、今後、認知が広がっていくことを期待します。
岡崎 日本では採用側の先入観で、接客業に携わる聴覚障がい者が多いとは言えない状況があると思います。今回、接客業への2名の採用が、その潜在的な能力を最大限に発揮できる場のひとつとなれたことは、大きな意義があると考えています。
須崎 オフィス内のオープンなスペースで手話のやりとりが見られるようになりました。これこそ会社にとって大きな変化ではないでしょうか。今後、社内で聴覚障がい者への理解がさらに深まるのではないかと思います。
岡崎 手話を学び、資生堂らしい表現を構築し、実践を重ねるなかで、コミュニケーションの本質的な重要性を改めて実感しました。我々の挑戦はまだ始まったばかりですが、未来社会に向け新しい可能性を切り拓く一助となることを心から願っています。この活動を成長させることで、資生堂のミッションである「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(美の力でよりよい世界を)」を実現していきます。

左から 岡崎、須崎、アンナ、tamaki、Saya、Nao