「見えないものを見たい、その願いから新しい美しさに辿りつく」
~みらい開発研究所 加治屋研究員に聞く~
資生堂 みらい開発研究所 シーズ開発センター長 加治屋健太朗
肌を健やかに保ち、美しく彩ることが化粧品の大きな目的であり役割です。そんな人々の理想を高い次元で実現するための研究を日々行っているのが、資生堂グローバルイノベーションセンター。そこには意外にも、人間にとっての「見えない部分」に目を凝らすことから新しい知見に辿りつこうとしている研究員たちがいます。見えないものを可視化する技、そこから人間のためのよりよい成果を見出していく研究。それをリードする資生堂みらい開発研究所 シーズ開発センター長の加治屋健太朗に話を聞きました。見えないものの探求の中で見つける人間の美しさの本質とは何なのでしょうか。
資生堂 みらい開発研究所 シーズ開発センター長
加治屋健太朗(かじや・けんたろう)
2001年資生堂入社。CBRC(ハーバード大学附属皮膚科学研究所)、スイス連邦工科大学客員研究員などを経て、2022年より現職。23年から弘前大学大学院医学研究科招へい教授を兼任。中国化粧品学術検討会最優秀賞(06年、20年)や、日本香粧品学会優秀論文賞(10年)を受賞し、IFSCCで基調講演を行うなど、世界で活躍する皮膚科学の研究者
肌が老化する原因は加齢ではない?
―まずはじめに、資生堂の研究の独自性についてお聞きしたいと思います
加治屋 わたしは資生堂の基礎研究全体を見るような立場になって三年ほどになります。研究は、誰もやってないところをやる、世界で初めてのものを見つけていくのが醍醐味ですが、資生堂の基礎研究の強みを改めて振り返ったときに、「見えないものを見える化する」、見えないものにアプローチして研究を続けているというのがユニークネスなのではないかということに行き当たりました。
見えないものの一つ目は「肌の内側」。人間の表面として見えている肌は、血流や免疫など目に見えない部分に支えられています。二つ目は、「心」。化粧品には、使うことで心を躍らせたり、気持ちを変えたりする働きがあります。その心の動きを研究し可視化していくことによって、化粧品がどのように機能的な存在であり得るのかを見出してきた歴史があります。最後は「未来」、時間です。未来を可視化し予測できるようにすることで、人々が自分の将来を想像でき、資生堂はそのために何ができるかを提案できます。「予防」というベネフィットの提案です。
人間にとって未知であり興味が尽きないこの三つの見えないものを見える化する歩みが我々の会社の特徴ではないかと思います。
―化粧品がどのように進化できるか、の前に、人間が見たくても見られない部分を見ることから始めるというのは、遠回りのようですがわくわくする道のりでもあるように感じます
加治屋 例えば、紫外線のように肌への影響を研究した上での高い防御効果を提供することも、もちろんひとつの化粧品の在り方です。ですがより人間の全体性を見て、理解して、持っている力をどんどん引き出すことによってよりよい肌にできるのではないかという発想が資生堂にはあります。二元論ではなくて、全体性で考える。だから、化粧品の研究の中に心の研究や、血管や免疫の研究もあるのです。
中でも免疫の研究は、30年以上前から、世界トップの皮膚科学領域の研究機関との共同研究をスタートしています。たとえばストレスがかかると肌の状態が悪くなるという、今では当たり前の認識ですが、これを30年ほど前に最初に解明したのも私たちの研究です。世界的な科学誌『NATURE』に掲載された論文で、免疫細胞が神経と接続していることの発見、砕けた言い方をすると肌が心につながっているということを、初めて研究として伝えたんです。
そこから脈々と免疫の研究を続けて、2023年にもう一つ新しい知見を見出しました。免疫は簡単に言うと外部からの異物の侵入を排除しようするものですが、今回、その免疫が、実は身体の内側にあるものも認識していることがわかったんです。肌のなかの老化細胞を、免疫が自分で認識して自分で除去する、つまり自浄作用みたいなものがあると。その機能がうまくいかなくなるから肌の老化が進むということを発見したわけです。これは、科学誌『CELL』に掲載された知見です。
―肌が老化して見えるのは加齢によるものではなくて、その自浄作用が衰えることによるものですか?自浄作用が維持できれば肌は老化しない?
加治屋 理論的には、そういうことになりますね。加齢と細胞が老化することは別のことです。この発見はエイジングケアの常識を変えるものになります。
見たいという願いから発見する「美しさ」
―自分でもわかっていない自分の中の機能を知ることで、未来の見え方が変わったり、美容行動を変えたりするきっかけにもなりそうです
加治屋 そうですね。それ以前に研究者としてお伝えしたいのは、肌の内部はとても美しいものだということです。私の専門は血流やリンパの流れですが、毛細血管、そしてそこを流れる血流の美しさは本当に素晴らしいものです。肌の中の血管に外から光を当てて立体的に可視化すると、血管は大変にきれいな構造をしています。誰かが計算してつくったわけではない、生物のすごさ、進化のプロセスでうまれた美しさを目の当たりにしたときに、そこにまず驚きと美を感じます。
引用文献(Kajiya et al., JDS2018)
加齢や紫外線のダメージなどでこの構造が維持できなくなると、肌も変化します。この構造体の美しさを維持することは、肌の見え方を美しくすることそのものです。
―森のような、唐草のような。自分の中にこの美しい景色があると思うと、なんだかうれしい気持ちになります
加治屋 ものすごく細かいのに決して絡まったりしていなくて、うまく全体にいきわたるような構造体なんです。よくできています。そして、先ほどお話した免疫細胞は実は血流の中で運ばれているんですね。ぐるぐるぐるぐる循環してパトロールしているみたいなイメージです。きれいな流れの中でひとが美しさを維持していく。人間を部分ではなく全体性でみるという姿勢から生まれた発見です。
椿由来のエキスとの運命的な出会い
―2023年に発表された免疫に関する新知見のなかで、免疫細胞の働きを高める機能が椿由来のエキスにあることがわかったと聞きました
加治屋 これは、偶然の出会いでした。私たちの研究所は多くの部署があり、たくさんの研究が常時走っています。原料開発のチームと基礎研究のチームはそれぞれの研究を続けていました。椿由来の成分が肌に良いということは既にわかっていましたが、免疫系の細胞の機能を高める成分を、数えきれないほどの中から選別していく中で、効果があるとわかったのが、発酵した椿の種子から得られるエキスだったんです。資生堂にとって100年以上前から会社のシンボルとして長く大事にしてきた椿が、いま資生堂が追い求めている最先端の免疫の研究と合わさって革新的なスキンケアとして実を結ぶということに、運命的なものを感じます。
ツバキ種子発酵抽出液が表皮からのCXCL9の産生を促進することで、誘引されたCD4 CTL(メモリーT細胞)が老化細胞を除去することが
期待されるイメージ図
―突き詰めた先にある人知を超えた出会いが、研究を続けているとあるのでしょうか
加治屋 これも資生堂がほかの会社と違うところなのかもしれません。私たちはアートアンドサイエンスという言葉をとても大切にしています。アートというのはクリエイティビティであったり美意識であったり、大きな次元のキーワードではありますが、私は、サイエンスの中にもアートがあると思うんです。研究そのものが「きれい」なんですよね。発想、フィロソフィー、ビジョン、なにかを見出そうとするときに美しい研究のストーリーが描けているというのが、資生堂の研究のスタイルだと、これまでも先輩たちがやってきた研究の数々を見ていて思うんです。見たことのないものを見たい、わからないけど気になる、と思うことは、人間の根源的な欲求で、その営みからあたらしい美が発見できる。アーティストがなにかを表現することにも似ているのではないかと思います。
化粧品が世界のためにできること
―免疫、血流、そのほかには今どのようなことから新しい世界を見ていますか?
加治屋 少し前の話になりますが、コロナ禍において、人と人とが触れ合えない時期がありました。触れるということは人間にとってすごく意味があるということが分かってきているのはご存じだと思います。じゃあそんな世界に我々は何ができるだろうかと。私たちの研究の中で、触覚を担っている細胞が、実はにおいを受容するものを遺伝子として持っているということがわかったんです。つまり香りを肌に塗布することによって、その細胞を活性化することができると。
―触れられなくても、においを塗ると、誰かと触れ合ったときのような感覚になる?
加治屋 そうです、触ったときに活性化する経路が活性して、触れられたように感じるということです。例えばオレンジの香りがする水を飲むとオレンジジュースの味に感じる、というように「錯覚」は人に備わっていて、私たちはその錯覚も含めて、五感をフルに活用できるような術を維持しようとしているんじゃないかと。私たちは肌に塗布する製品をメインでつくっていますから、塗ると触れ合ったような効果が得られる化粧品、などが考えられるかもしれません。
―化粧品を塗ることで、誰かと触れ合ったときのような安心だとか喜びの感情が芽生えるようなことができるようになれば、これからの社会にまた違った価値が提供できそうです
加治屋 ハッピーとか喜びといった感情がいかに生活の質を向上させて「健康寿命」を延ばすことにつながるのか、というのは今すごく注目されています。その時に化粧品や美が果たす役割は大きいのではと考えています。もともと資生堂には化粧療法※というメソッドがあって、化粧の果たす役割がすごく大きいことを知っています。ソーシャルイシューにアプローチできるような成果をいくつも持つ、貴重な会社であり、業界なんだと感じています。
※資生堂の化粧療法
―健康寿命という意味では、どんな自分を美しいと思って生きていくのかというのも現代人にとっての新しい問いだと思います
加治屋 エイジングということに対する概念が変わってきていると思います。時間は戦うべきものではなく、よりよく生きていくために味方にしていくべきものであるというように。例えば、シワがすべて悪いわけではないとも思います。なくしたいシワもあるかもしれませんが、一方で年を重ねてできる柔和なイメージをもついいシワもあるということも本当だと思います。美の概念はどんどんアップデートされていくのではないでしょうか。
―加治屋さんが思う「美」、というのはどういう状態ですか?どういう状態を美しいと思いながら研究をされていますか?
加治屋 いま資生堂では肌・身体・心を網羅的に解明することを目指して「Beauty Artscape(R)」というサイエンス領域について研究をしています。その中で強く感じることは、まだまだ人にはポテンシャルがあるっていうことです。肌、身体、そして心のつながりを可視化して覚醒させることによって、まだ気づいていないポテンシャルがあることを感じられる、自分の未来や可能性を信じられる。まだわからないことに対してわくわくすることこそ、美だと思います。
どんどん身体の中と肌の関係は明らかになってきていますし、心のポジティブな感じ方がいかに脳を通して肌に良いのかというのをエビデンスで示したいと思っています。そして客観的な指標で、ソリューションやテクノロジーを提案していきます。もしかしたら化粧品ではないかもしれません。ライフスタイルを変えることがソリューションかもしれない。いろんなやり方があります。そんなふうに考えられること自体、美しいと思います。
―少し前なら「あなたのポテンシャルを高めます」「眠っている可能性を引き出します」という方向でメッセージしていたように思います。そうではなくて、まだまだわかってないんですよっていう気持ちを世の中と共有することを価値とするのは新しい感覚です
加治屋 ある別のプロジェクトでは、我々がやっていることは「美を感じる生き方を社会に提案すること」と定義してみました。自分にわくわくしていられる力。自分に秘められた力がまだあると思ったら見てみたいと思いますよね。
未来の美を、生活者と共創する
―そのようなことが体験できる場として、グローバルイノベーションセンターに2025年1月、「研究員と生活者がつながり未来の美を共創する」とうたった新しい場「Shiseido Beauty Park」がオープンしました
加治屋 最近、研究のトレンドが変わってきています。世の中の皆さんと一緒に研究を創り上げていくというステージに入ってきました。例えば一般の人にウェアラブルデバイスをつけてもらって脈拍をとるとか、継続的にデータをとって研究の材料にしたりするんですね。隔離された環境で食事はみんな一緒で、と条件をそろえた研究によってわかることもありますけれども。どんどん生活者と研究の距離が近づいてくるのが今後の流れですし、我々もそうして行きます。
新しい場所では、肌、身体、心のつながりを分析して未来を予測し、トリートメントや食事のアドバイスに加えて、映像でのAWE体験※1を提供するコンテンツ※2も用意しています。先ほどの自分のポテンシャルを知る機会にしてもらえたらと思っていますし、我々も多くの方の肌を見させてもらえます。研究に参加するのが楽しくなるような仕掛けも考えています。
見えないものが見えた瞬間、知らないものを見るときの喜びは絶対的にあると思うので、多くの皆さんに訪れていただきたいです。対話の中から世界に対して我々は何ができるかを考え、生活のインサイトやソーシャルイシューに対する新しい発想を生み出していこうとしています。それが研究のアプローチのユニークネスだけではなく研究のゴールのユニークネスにも繋がると信じています。
- ※1:日本語で「畏敬の念」を意味し、果てしない壮大な風景などを前に、自分の存在の小ささを知る体験のことを指す。AWEを体験すると、脳活動に変化を起こし、身体の炎症を抑え、利他の精神を高めるなど、心や身体、そして社会へと多くのポジティブな影響があることが科学的に次々と解明され始めている。
- ※2:「Shiseido Beauty Diagnosis Lab」では、「Beauty Artscape®」を応用し、“肌”だけでなく鼻の骨格や歩容(歩き姿)など“身体”の内側から肌の素質を分析し、自分の五感と向き合う“心”の測定まで、全部で13種の測定を実施。測定結果より、現在の肌・身体・心のつながりが分かる144通りの Beauty Artscape® IDが導き出され、3年後やその先の未来の顔を予測することができる。