「鈴木治追悼展 上村松篁追悼展」
2001年10月3日(水)― 12月25日(火)
鈴木治(すずきおさむ・1926-2001)は京都五条坂に生れ、京都市立第二工業学校窯業科を卒業。1948年、八木一夫らとともに前衛陶芸家によるグループ「走泥社」を結成し、革新的な陶芸運動の中心に身を置きながら、理論と実践の両面において、我が国における抽象陶芸界のリーダーとして大きな役割を果たしました。
動物や山などの形、あるいは風や雲などの自然現象を幾何学的に分析し、理知的で簡明なフォルムに構築。モダンな形態を際立たせる青白磁や、焼締ふうの赤褐色の作品は鋭い知性とユーモアにいろどられ、陶芸の枠を超えて多くの人々から高い評価を受けました。
1999年、東京国立近代美術館工芸館など全国5箇所で大規模な個展が開催され、同年、陶芸家として初めて朝日賞を受賞。さらなる活躍が期待されるなかの惜しまれる逝去でした。
本展では、鈴木治がメンバーとして参加した「現代工藝展」(1975-1995・資生堂主催)出品作のなかから代表作を選ぶとともに、1999年のインタビューから「作者のことば」をあわせて展示し、故人の業績をしのびました。
優雅な花鳥画で知られる上村松篁(うえむらしょうこう・1902-2001)は、高名な美人画家、上村松園の長男として京都に生れました。1921年、京都市立絵画専門学校本科に入学するとともに、西山翠嶂の画塾「青甲社」に入塾。この年、19歳の若さで『閑庭迎秋』が帝展に初入選し、画壇への第一歩を記します。
その後も「青甲社」にあって、厳しい研鑽を重ねながら帝展、文展を中心に発表を続けましたが、旧来の閉塞的な画壇のあり方にあきたらず、1948年、山本丘人、秋野不矩らとともに「世界性に立脚する日本画の創造」をめざして、美術団体「創造美術」(現・創画会)を結成。以後の松篁は生涯を通じて在野にあり、古典の格調を継承しつつも、他の追随を許さない現代における花鳥画の世界を研究し、1984年には文化勲章を受章するなど、日本画壇の重鎮として活躍しました。
本展では、上村松篁がメンバーとして参加した「第3次椿会美術展」(1974-1990・資生堂主催)出品作を中心に、1998年のインタビューから「作者のことば」を合わせて展示し、故人の業績をしのびました。