カヌー選手 羽根田 卓也 × 女優 吉岡 里帆
幼少時代は器械体操をされてたんですよね。それはカヌーに影響していますか?
はい、やっていたのは7歳から10歳くらいまでで、その年齢は子どもがいろんな動きを覚える時期なんですよね。器械体操はたくさんの動きを含んだ競技なので、自分に子どもができたらその時期にやらせたいと思うくらいぴったりの運動じゃないかなと。カヌーをやる前に器械体操をやらせてくれた親にすごく感謝しています。
お父さまの存在は大きいですか? カヌーの世界に引っぱり出してくれたキーパーソンだと思うんですけど。
引っぱり出してくれたというか、引きずり込まれたというか(笑)。父親は国体に出場するようなカヌー選手だったので、自分が一生懸命やってきたことを子どもにやらせたいという気持ちが強かったんだと思います。でも本格的にやりはじめた小学3年生のころは、楽しいことよりも辛いことのほうが多くて。それってよくないですよね。子どもに何かをやらせる時、楽しいことよりも辛いことのほうが上回ると、絶対に続かないよなと自分の経験から思います。
そういった時期を越えて、楽しさが上回るようになったきっかけはあるんですか?
最初のころは、激流が怖かったんですよね。普通はせせらぎから渓流に行って、次が急流で、それから激流という順序を踏むんですけど、僕はせせらぎからいきなり激流に連れて行かれて。
怖い!
それを徐々に克服しはじめたのが中学1年か2年の時です。どんな激流でも怖くなくなったあたりから、逆に激流を求めるようになって、そこからは楽しくなりました。
高校を卒業した後、スロバキアに単身で渡られた時はどのような気持ちでしたか?
日本にはカヌーの人工コースがなくて、そういう環境で海外の選手と闘うのが難しいと痛感していたんです。だからスロバキアへ行く不安はもちろんありましたけど、日本に留まる不安のほうが大きかったですね。その時点では自分の夢にすべてを捧げる覚悟があったので、目標達成のためにあらゆることを犠牲にしたと思います。
夢を叶えるためには、何かを我慢したり、人の何倍もの努力が必要ですよね。私にも何かを楽しんだ時間の分だけ、後れを取ってしまうような感覚があります。特に10代のころは、今ごろ世界中の同世代の人たちは歯を食いしばって努力してるはずなのにって、楽しむことに罪悪感を覚えることがありました。
ストイックですね。スポーツをやってたほうがよかったんじゃないですか? 絶対にすごい選手になってたと思いますよ。
いえいえ、そんなことないです(笑)。羽根田さんの活躍を見て、この競技をやってみたいと思う子どもたちに、どういうふうに楽しさを伝えていきたいですか?
一度体験してみると、激流の中を進んだり、ターンしたりするのがどれだけ難しいかということがわかると思うので、いちばんは体験して、カヌーの楽しさや気持ちよさを知ってもらいたいです。たくさんの人にカヌーを体験してもらうのが僕の夢ですね。
ちなみに羽根田さんはアネッサのアンバサダーを務めていらっしゃいますね?
僕はアンバサダーになる前からアネッサの愛用者だったんですね。苦手な日焼け止め特有の匂いがないし、サラサラでベトベトしないので、必ず塗ってからトレーニングしています。
屋外のスポーツですし、日焼け対策は必須ですよね。最後に、アスリートとしてどんなゴールをめざしたいか、意気込みや抱負を聞かせてください。
具体的なことはまだ考えてないですけど、多くを語らなくても自分の信念を感じてもらって、みなさんに勇気を伝えられるような、そういう生き方をしていきたいです。僕は新選組の副長だった土方歳三がすごく好きで、生き様がカッコいいなと思ってるんですよね。
土方歳三の生涯を描いた『燃えよ剣』が、羽根田さんの愛読書なんですよね?
はい、刀みたいに研ぎ澄まされた生き方をした人で、生き方に美学があるんです。競技生活でも影響を受けた部分があるので、自分も誰に見られても恥ずかしくない、アスリートとしての姿を見せられたらなと思います。
資生堂クロストーク「ONE ON ONE」