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「資生堂ランニングクラブ」のDNA

資⽣堂の企業スポーツ・実業団の陸上チームは、「陸上部」や「駅伝部」などではなく、「資⽣堂ランニングクラブ」と呼称されています。そこには知られざる物語と、脈々と受け継がれる「応援」のDNAがあります。今回は、資⽣堂ランニングクラブの五島 莉乃 選⼿(以下、五島)、川村ゼネラルマネージャー(以下、川村)、岡内事務局⻑(以下、岡内)に話を伺いました。

一人の女性社員を応援する事から始まった

資生堂ランニングクラブの成り立ちについて教えてください。

岡内)1979年、世界で初めて女性限定のマラソン国際大会が、東京で開催される事になりました。それが2008年まで続いた「東京国際女子マラソン」です。資生堂は大会に協賛する立場でしたが、当時、社員で女子マラソンのパイオニアとも言われている松田千枝さんが、そのマラソン大会に出ると聞き、「社員が出場するならみんなで応援しよう!」と集まった事から始まりました。

社員を応援することが始まりだったランニングクラブですが、発足から40年以上が経った今、どのような事を目指して活動しているのでしょうか?

川村)チームが一丸となってチャレンジしていく姿や、選手が懸命に走る姿を見せる事で、「よし、私たちも明日から頑張ろう!」と、社員に元気や感動を与え、誇りを共有するような存在になる事を目指しています。コロナ禍においては、なかなか社員の仲間と直接触れ合う事も難しいのですが、いろいろな媒体を活用しながら、選手の人柄などを発信する事にも取り組んでいます。

ランニングクラブとして情報を発信する際に心掛けている事は何でしょうか?

川村)私たちのクラブの選手たちは、世界選手権日本代表の五島をはじめ、いわゆるトップアスリートが揃っています。トップアスリートは、「いろいろな挫折、苦悩がありながら挑戦し続ける事ができた存在」です。その苦難を乗り越えたストーリーを知る事で共感が生まれ、その上で実際に走る姿を見る事により、感動や勇気を与えられるようになります。単純に「資生堂の選手は強いね」ではなく、「資生堂の選手の頑張りに勇気をもらった」という人が増えてくれたら嬉しいですね。

五島)選手としても、レースの結果だけでなく、社員からも「ゴール後の笑顔に元気をもらえた」「歯を食いしばって腕を振る姿を見て、私も頑張ろうと思った」などの声や励ましをいただくと、とても嬉しく力になります。

選手を応援するDNA

少し話は戻りますが、資生堂ランニングクラブは、「陸上部」ではなく「クラブ」という名称になっているのには何か理由があるのでしょうか?

岡内)先ほどお話ししたように、東京国際女子マラソンで「松田千枝さんが出るから応援しよう!」という活動が、ランニングクラブ発足の大きなきっかけです。競技をするための陸上部ではなくクラブ活動のような形で始まり、そこから自然に大きくなっていきましたが、その当時の活動や想いが受け継がれ、「ランニングクラブ」という名称が今でも残っているのです。

会社からではなく、社員の「走りたい」「走る事が好き」という想いから発展した、まさに『クラブ』なのですね! そうした自然発生的なクラブが、今では日本を代表する選手を輩出する実業団になっています。ここに至るまでに、どのような部分が変わり、反対に変わらずにいるのでしょうか。

岡内)少しずつ強い選手が増え、その人と走りたいと思う選手が集まってくれて…、という感じで徐々に強くなっていきました。今も昔も変わらないのは、「資生堂の宣伝」として走っているわけではないという事です。「選手の活躍を資生堂が応援している」という姿勢は今でも継続されています。

そうした姿勢は、選手にとっても嬉しいのではないでしょうか?

五島)そうですね。資生堂に入社する事を選んだのも、選手として挑戦する機会が多くある事もありますが、「応援してくれる」文化があるという点も大きかったです。選手としてだけではなく、一人の社会人としてどうなりたいのかと、「陸上選手としての五島莉乃」ではない部分も見てくれました。

川村)やはり、選手には長く走ってもらいたいですし、会社でも活躍してほしいと思っています。強ければよいというわけでなく、「この選手を応援したい」と思える事も、資生堂ランニングクラブの理念を実現するために大事な要素です。ですので、ただ競技のタイムを見るだけでなく、この人は資生堂の中でどういう仕事に向いているか、なども考えながらスカウトをしています。

地域の方々にも応援してもらえるクラブに

資生堂ランニングクラブは、社外や地域との関わりもあるのでしょうか?

岡内)以前、「全日本実業団対抗女子駅伝」が岐阜県で行われていた際に、開催地である岐阜県の小学校でランニング教室をしていました。そもそもは、資生堂の支店オフィスの目の前にあった小学校の子どもたちが、ランニングコースを清掃してくれていて、その小学校から「ランニング教室をできないか?」と相談を受けた際に、「ぜひ恩返しをしたい」という事からスタートしました。駅伝大会時には、小学校の生徒や保護者の方など、本当に多くの方々が応援しに来てくれて、とても励みになりましたね。

地域との関わりが、また新たな応援を生んでいたのですね。

川村)「全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)」が仙台に移ってからは、仙台でも小学生との交流が行われています。日本実業団陸上競技連合が旗振り役となって、大会後に各小学校を訪問しています。

五島)残念ながら現在はコロナ禍で実施できていないのですが、子どもたちへのランニング教室、ぜひ私も⼀緒にやりたいなと思っています。

地域と関わっていく事は、ランニングクラブの歴史の中でも重要なものだと思いますので、また積極的にできるようになるといいですね。
「応援」から始まり、その想いが受け継がれている「資生堂ランニングクラブ」。これからも頑張ってください!

「“資⽣堂らしい選⼿”と⾔われるとうれしい」と話す五島選⼿。
レース時にする三つ編みも、実⽤性だけでなくファッション性にも優れています。

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