特集記事
女性アスリートの「健やかな身体」を保つ!
「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2024
大賞」受賞 産婦人科医の能瀬 さやか先生に聞く
スポーツ競技に取り組む女性は、初経を迎えていない女児から、更年期障害に悩む50代の市民ランナーまで、競技レベルや年齢の幅が年々広がっています。
女性が生涯にわたってスポーツ競技を楽しんで、心身ともに豊かで生きいきとした美しさを保つには、「女性アスリートの三主徴(さんしゅちょう:以下、三主徴)」と呼ばれる3つの課題「利用可能エネルギー不足(以下、エネルギー不足)」「視床下部性無月経(以下、無月経)」「骨粗しょう症」への理解やケアが重要です。この三主徴について、日本スポーツ振興センター、国立スポーツ科学センター(JISS)産婦人科医の、能瀬
さやか先生(以下、能瀬さん)にお話しを伺いました。
能瀬さんは、女性アスリートの悩み解決に長年アプローチし続けており、「日経WOMAN」が選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2024
大賞※1」、「第15回ヤマハ発動機スポーツ振興財団スポーツチャレンジ賞※2」、そして「第26回秩父宮記念スポーツ医・科学賞 奨励賞※3」
にも選ばれています。
三主徴はアスリートだけでなく、一般女性や女性のご家族をもつ男性にもぜひ知っていただきたい情報です。
後援:公益財団法人日本スポーツ協会、公益財団法人日本オリンピック委員会、公益財団法人日本パラスポーツ協会日本パラリンピック委員会
主催:日本スポーツ協会、共催:読売新聞社、後援:スポーツ庁、公益財団法人日本オリンピック委員会
能瀬 さやか 先生 プロフィール
- 国立スポーツ科学センター スポーツ医学・研究部 産婦人科医
- 1979年 秋田県生まれ、青森県八戸市出身
- 2003年 北里大学医学部卒業後、研修医を経て、2006年 東京大学医学部産婦人科学教室に入局
- 2017年 東京大学医学部附属病院に国立大学病院初の「女性アスリート外来」を開設
- 2023年4月から現職
過度な運動が、将来の健康に及ぼすリスク
三主徴(エネルギー不足・無月経・骨粗しょう症)は、健康にどのような影響を及ぼすのでしょうか?
能瀬さん)この3つは連動しています。運動量に対して食事量が少ない事による「エネルギー不足」により、脳からのホルモン分泌が抑えられ「無月経」となり、結果として“エストロゲン”の分泌が低下します。エストロゲンは骨量の維持や増加に重要なホルモンであるため、エストロゲンの低下は骨密度を低下させ、若年アスリートにおいても「骨粗しょう症」につながる事があります。
女性の骨量は、20歳頃に最大となり、そこからは減っていく一方なので、10代のうちに長期間の低体重や無月経の状態が続くと、生涯にわたって骨密度の低さに悩まされる事になります。
「骨粗しょう症の高齢者は死亡率が高い」というデータもあり、若い頃の健康状態は寿命に大きく関わってきます。また、「現役中に無月経や月経不順だったアスリートは、引退後の不妊治療率が高い」というデータもあります。不妊の因子は様々なので無月経だけが原因とは言い切れませんが、現役中に規則的に月経がきていたアスリートと比較すると7%ほどの明らかな差があります。
三主徴への理解と状況
三主徴が、現役中の問題だけではない事など、アスリートはどのくらい認知しているのでしょうか?
能瀬さん)私がJISSに初めて赴任した12年前と比べると、トップレベルの選手やコーチの方々の認知はかなり高まってきたと感じます。一方で、地方や学校の部活動などでは、この問題の認知度がまだまだ低いと感じています。また、10代のアスリートたちにとっては、将来的な妊娠や骨粗しょう症の話より、目の前の競技成績が最重要なので、情報を知っていてもなかなかピンときていないと思います。ただし、無月経の原因であるエネルギー不足は、疲労骨折のリスクを高める事やパフォーマンス低下に繋がる事が明らかになっているため、決して将来の健康への影響だけでなく、現役中の競技生活にも関わる大きな問題です。周囲の指導者や家族など、多くの人が理解し、不調のサインに早く気付けるような体制づくりが大切です。
その際、指導者や家族が気をつける事はありますか?
能瀬さん)一人ひとりの傾向が異なるので、例えば「私も引退した後、生理が再開したから大丈夫」、「お母さんも初経が遅かったからまだ大丈夫」など、ご自身の経験則のみを語らないようにする事が重要です。指導者や保護者の方には、産婦人科などの専門家につなげる役割を担って欲しいと思います。
三主徴に対する理解度や対応状況は、海外と比較してどうなのでしょうか?
能瀬さん)欧米は、日本より情報の発信や取り入れに積極的だと感じます。2011~2012年に当センターでメディカルチェックを受けた国内トップアスリート約700名を対象に実施した調査では、ピル服用者が2名しかいませんでしたが、2008年時点で欧米では83%が低用量ピルを服用していました。一方、日本では、東京オリンピック2020大会時点でも、まだ約30%の使用率でしたのでその差は歴然です。
もちろん、低用量ピルを服用するかどうかはアスリート自身の選択であり強制するものではないですが、服用しない理由が「情報を持っていなかった」という回答が多かった事は懸念すべきところです。知っていたけど対策を取る事を希望しなかったというのと、知らなかったので対策が取れなかったというのでは大きく意味が異なります。2012年には「過去2回オリンピックに出場して、どちらも月経タイミングが重なってしまった」と話すアスリートもいて、代表選手でさえそのような状況なのか…、と驚きました。
そのような状況では、「月経は悪いものだ」「月経が無ければいいのに」と思ってしまうのは無理もないですね。アスリートたちに、月経との付き合い方をどのように伝えているのでしょうか?
能瀬さん)競技や年齢に合わせて関心が持てるように工夫しています。例えば、10代の選手に将来の妊娠や骨粗しょう症の懸念を伝えても響きません。「エネルギー不足の状態になると、パフォーマンスが下がる。無月経はエネルギー不足のサインである」と、パフォーマンス視点で話をすると、彼女たちは俄然耳を傾けてくれます。
三主徴への対応
周囲の人がアスリートの不調に気付くには、どうすればよいのでしょうか?
能瀬さん)アスリートは、「試合に出たい」という想いが強い上に、「指導者に相談しづらい」「チームに迷惑をかけられない」などの理由から、不調を周りに気付かれないように振る舞ってしまいます。特に、摂食障害を抱えている選手では、食行動の異常に周囲が気付きにくい事も多いです。周りの方が察するには限界がありますが、産婦人科など第三者が接する中で問題が表面化する事もあるため、定期的なメディカルチェックを勧めるのが良いと思います。
確かに、スポーツ特有の女性の悩みを産婦人科で相談できると安心ですね・・・。
能瀬さん)産婦人科でも力を入れていて、今は産婦人科医全員が手にする「診療ガイドライン」に、この三主徴に関連する情報が記載されています。実際、「アスリート外来」を開設する産婦人科も増えてきました。 また、トップレベルのアスリートにとっては、処方時にアンチ・ドーピングの事まで理解してくれる産婦人科医がいるかどうかは死活問題です。最近では、トップ選手が月経について発信する機会も増えていて、10年前と比べて大きな変化を感じます。まだまだ道半ばではありますが・・・。
女性アスリートの月経の課題に対しては、どのような対応をされていますか?
能瀬さん)個々の状況によって異なりますが、エネルギー不足による無月経の場合は、すぐにホルモン療法を行うのではなく、まずは運動によるエネルギー消費量と食事からのエネルギー摂取量のバランスを改善して、炭水化物を中心にエネルギー摂取量を増やす指導をします。エネルギー不足の改善を行わないと、ホルモン値が正常に戻らず自然月経の再開は望めません。ホルモン療法などの対処法に移ったとしても、エネルギー不足の改善は継続する事が重要です。
一方、「月経の量が多い」「月経前症候群(生理前に起こる心や身体の不調)が辛い」や、「試合と月経時期が重なるのが嫌だ」という悩みなどには、「低用量ピル」や「プロゲスチン製剤」を処方します。「プロゲスチン製剤」は、副作用が比較的少なく、アスリートへの処方において今後主流になっていくと考えています。
今後の取り組み
これらの女性課題に対して、今後どのように取り組まれていきますか?
能瀬さん)現在、トップアスリートに対しては、指導者はもちろん健康管理サポートの体制が充実しているので、誰かが問題に気付いて受診に繋がっているケースが多いと思います。しかし、一般の生活においてはそのような環境が整っていません。運動系の部活動を頑張る子、さらにはスポーツをしていない子も含めて、例えば、学校で「最後にいつ生理がきたか」などについて定期的にアンケートを取り、養護教諭から医療機関につなげられるような仕組みが必要だと感じています。
特に、骨粗しょう症に関しては骨量が増える10代で対応しないと手遅れになるので、「エネルギー不足」に関わる栄養の事以外にも性教育や婦人科系の知識まで、学校ともっと連携しながらしっかりと教えていける環境を作っていくのが理想的だと思います。
加えて、無関心層の巻き込みが課題です。近年は、各地で行う女性アスリートの健康問題に関する講習会にも参加者が増えてきました。それは大変喜ばしい事なのですが、講習会に来る方はそもそも関心のある方が多いのです。パフォーマンス向上のための必須情報として、女性スポーツに携わるすべての方に、関心と知識を持ってほしいと思います。
男性指導者は、女性アスリートからの相談をどう受け止めたらいいか悩んでいる方が多いと思われますが、どうすれば良いのでしょうか?
能瀬さん)例えば、婦人科に関する講習会を年に最低1回はチームで開催してはいかがでしょうか?参加する男性に対しては、「こうした問題に理解がある人だ」と周りが認識する事につながり、相談しやすい環境が生まれる可能性があります。悩みをすべて、すぐに話してもらうのは難しいかもしれませんが、「一緒に学ぶ姿勢を見せる」という事が大事だと思います。
現在私が非常勤で勤務している東大病院女性診療科・産科の女性アスリート外来や、理事を務める女性アスリート健康支援委員会のWEBサイトなどでは、教育用の動画素材や、トップアスリートの体験談などが掲載されています。ぜひ、参考にして頂けると嬉しいです。
選手自身が自分で考え、対応できる事も大事ですよね。
能瀬さん)最終的に自分の身体を守れるのは自分しかいません。正しい知識を得て、自分の身体の不調をきちんと自分で把握できる事が大切です。月経周期や最後に月経がきたタイミングなどが分かっていると、不調の予測だけではなく、不調になった時に周囲に対して正確に自分の状況が伝えられるようになります。誰かから手を差し伸べてもらうのを待つのではなく、自分から相談ができ、症状がきちんと伝えられる選手が増えてきてほしいです。
女性アスリートから一般女性へ
こうした女性アスリートへの啓蒙活動が、一般女性への認知拡大につながっていくといいですね。
能瀬さん)本当にそう思います。月経痛がひどくて学校に行けなかったり、仕事のパフォーマンスが落ちてしまう方も多くいらっしゃると思いますし、思春期の行き過ぎたダイエットで、無月経になって骨量が低くなる子もいます。
多くの人を巻き込む力のあるスポーツ界から社会へメッセージを発信する事で、一般女性の健康意識が高まる事を願っています。
本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!
<参考にしていただきたい情報>
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東大病院女性診療科・産科 女性アスリート外来
https://w-health.jp/femaleathletes/movie/structure.html -
一般社団法人女性アスリート健康支援委員会
https://f-athletes.jp/index.html -
全国公認スポーツドクター検索(メディカル・コンディショニング資格認定者検索)
https://www.japan-sports.or.jp/coach/DoctorSearch/tabid75.html