おススメ書籍 “歴史を変えた50人の女性アスリートたち”歴史を変えた50人の女性アスリートたち

おススメ書籍 “歴史を変えた50人の女性アスリートたち”

女性が選手として五輪に参加できるようになったのは1900年。全選手1,066名中のたった12名、種目はゴルフとテニスのみでした。

2024年パリ五輪の大会参加選手枠は男女が同数になる予定で、数の上ではようやく「男女平等」が実現します。
この実現の裏には、女性への偏見や固定概念を打ち破ったアスリートたちがいたことを、多くの人に知ってほしい…との想いから、スポーツ界の女性先駆者の伝記ビジュアルブック『歴史を変えた50人の女性アスリートたち』(レイチェル・イグノトフスキー著、野中モモ訳、創元社)を、大会を通じてご紹介することにいたしました。

著者 レイチェル・イグノトフスキーさんからの特別メッセージ

著者 レイチェル・イグノトフスキーさんからの動画メッセージです。
「女性アスリートたちがどのように活躍し、どうやって世界中の若い女性たちのローモデルとなってきたのかについて、みなさんにお伝えできることが嬉しい」とおっしゃっています。
ぜひ素敵なメッセージをご覧ください!

レイチェル・イグノトフスキーさんのその他の作品はこちらから
https://www.sogensha.co.jp/productlist?author_id=7265別ウィンドウが開きます

ピックアップアスリートのご紹介

アメリカ女子プロゴルフ協会を設立したベイブ選手を筆頭に、素晴らしい能力や粘り強さで、記録と歴史をぬりかえてきた女性たちの活躍をぜひご覧ください。特に印象的だった6名のアスリートをご紹介します。

ベイブ・ディドリクソン・ザハリアス

スポーツをやらずにはいられない (1911-1956)

ベイブ・ディドリクソン・ザハリアス

ゴルフ・バスケットボール・陸上競技選手

ベイブはまさにオールラウンダー。高校時代は野球、バレー、水泳、テニス、バスケ……とさまざまな競技でスター選手となり、就職後は会社の女子バスケットボールチームに参加していました。しかし会社は、オリンピック出場選手を決める大会に、彼女をたったひとりで「陸上競技 “チーム”」として登録。ベイブはひとりきりで5種目を制して総合優勝し、オリンピックでも数々のメダルを勝ち取りました。マスコミの話題をさらって大金を稼いだ彼女は、世界大恐慌の時にも家族全員を養えたそうです。まさに大黒柱! その後彼女はゴルフに転向し、猛特訓の末、アマチュアトーナメントで14連勝。女性で初めてプロゴルフ協会の36ホール男子大会に出場し、アメリカ女子プロゴルフ協会を設立しました。

福田 敬子

女子柔道を世界に広めた(1913-2013)

福田 敬子

柔道家

今では日本の代表的スポーツと言える柔道ですが、攻撃的に動き、足を広げた体勢をとることから、かつては女性が参加するのは品がないとされていました。福田敬子はそんな時代に女子柔道を切り拓いたパイオニアです。敬子は柔道を通して技だけでなく心と体を尊ぶ哲学も学びました。当時女性は結婚して家庭に入るのが当たり前とされていましたが、敬子は「柔の形」を極める道を選び、さらには柔道普及のためにアメリカに渡って、多くの女性に技と強さを授けました。しかし当時は女性が黒帯五段以上に昇段することは認められていませんでした。この差別的な慣習の撤廃を請願して、敬子は五段取得から20年後にようやく女性初の六段に昇段しました。のちに最高段位の十段を取得し、史上最高位の女性柔道家となった敬子は、99歳でこの世を去るまで、生涯にわたり柔道を教え続けました。

スー・サリー・ヘイル

男装してポロの世界へ(1937-2003)

スー・サリー・ヘイル

ポロ選手

事実は小説よりも奇なりといいますが、スー・サリー・ヘイルもまさにそんな選手。彼女は胸をつぶし、長い髪を帽子に隠し、口ひげをつけ、「試合が終わるとすぐに姿を消してしまう謎の紳士A・ジョーンズ」に変装して、女性選手が認められなかったポロの世界に、飛び込んだのです! 彼女の変装を、ハリウッドのスタントマンをしていた義父が手伝いました。チームメイトも彼女の圧倒的な実力を認めて秘密を守り、スーは何と20年も男性としてポロをプレーし続けたのです。のちに彼女はその事実を全米ポロ協会に突きつけ、半ば脅すようにして、女性選手の会員権を認めさせました。それにしても、本人はもちろん、彼女のチームメイトもずいぶんドキドキしたことでしょうね。こんなに大胆な秘密に長年加担していたわけですから!

アニタ・デフランツ

女子スポーツの復興に貢献(1952-)

アニタ・デフランツ

ボート選手、スポーツ組織者 

ボート競技選手で法律家という2つの顔をもつアニタ・デフランツは、アスリート活動と弁護士業に加えて2つの団体で理事を務めるというパワフルな生活を送っていました。どんなに忙しくてもオリンピックで金メダルをとることを目標に努力を重ねていましたが、政治的な理由から1980年のモスクワオリンピックにアメリカが出場をボイコットしたことで、彼女の夢は阻まれてしまいました。アニタはこれを不服とし、出場権を求める訴訟を起こしました。結局出場は叶わなかったものの、アニタはそのリーダーシップを認められ、国際オリンピック委員会から功労賞の銅メダルを贈られました。その後アニタは、アフリカ系アメリカ人として史上初のIOC委員、女性初のIOC理事・副会長を歴任し、現在でも世界中の女性アスリートをとりまく不公平な状況をなくすため、力を注いでいます。

ヴァイオレット・パーマー

レフェリーの仕事を心から楽しむ(1964-)

ヴァイオレット・パーマー

レフェリー

ヴァイオレット・パーマーは、アメリカの男子プロバスケットボールリーグNBAで、女性として初めてレフェリーを務めました。体格の大きな男子選手の試合はスピーディーで荒々しく、乱暴な言葉が飛び交い、時には暴力的な喧嘩になることもあります。そんな試合の裁定を女性が行うことは無理だと思われていましたが、ヴァイオレットは一流中の一流のレフェリーしか担当できないNBAのプレーオフの試合審判までやり遂げたのです。「私はドアを蹴っただけじゃない、蹴り倒したのです」と彼女は言います。レフェリーとして存在感を発揮し続けるヴァイオレットを妬み、「台所に戻れ!」などと言う解説者もいました。彼女はそんな声をはねのけ、超一流の審判しか任されないような試合でも堂々と職務を果たしました。ヴァイオレットの生き方には、できるかできないかを決めるのは自分自身であり、自分次第で可能性は広げられるというメッセージがあるように思えます。

シャンタル・プチクレール

身体と心を鍛えて勝利を目指す(1969-)

シャンタル・プチクレール

車いす陸上競技選手

シャンタル・プチクレールは13歳の時、事故により両脚が不自由になりました。しかし彼女はスポーツを諦めず、カナダ最高のアスリートになってみせると誓ったのです。車いす陸上競技に出会ったシャンタルは、上半身の強靭な筋力を要するこの競技でトップになるため、厳しいトレーニングを積みました。そして22歳の時に初出場したバルセロナ・パラリンピックで、200mと800mで銅メダルを獲得しました。それ以来、2008年に引退するまでに彼女がパラリンピックで獲得したメダルは、なんと21個(金14個、銀5個、銅2個)! さらに5つの種目でパラリンピック新記録を出したのです。思わぬ困難があっても、強い意思と鍛錬をもってすれば夢を叶えられることを証明したシャンタルは、障害をもつ人々がスポーツや労働の場に主体的に参加する環境を整えるため、慈善団体の大使や国会議員などとして現在も精力的に活動しています。

書籍のご紹介

歴史を変えた50人の女性アスリートたち

歴史を変えた50人の女性アスリートたち

歴史を変えた50人の女性アスリートたち
著:レイチェル・イグノトフスキー
訳:野中モモ
出版社:創元社

女性をしめ出していた近代スポーツ界に飛びこみ、圧倒的な能力と粘り強さで記録と歴史をぬりかえてきた女性アスリート50人。
その驚くべき成績やエネルギーに満ちた人生をチャーミングなイラストとともに紹介します!

A4判変型・上製・128頁
オールカラー・定価 1,980円(税込)

私たちは、女性アスリートの皆さんやスポーツを楽しむすべての人が
充実した日々を過ごすことを心から願い、
「資生堂 レディスオープン」を開催します。