パーソナルビューティーパートナーの歴史

MISS SHISEIDO - 1934

美の伝道師 ミス・シセイドウが誕生

社会で活躍する女性がまだ少ない昭和初期、資生堂は時代に先駆け、女性のスタッフを募集します。日本女性の装が和装から洋装へと移り変わろうとしていた当時、ミス・シセイドウは「近代美容劇」という芝居形式で、時代に合った最新の美容法をわかりやすく伝えました。終演後は来場者一人ひとりの肌タイプや好みに合わせた化粧品の選び方などの相談に応じ、処方箋をお渡しする美容相談を通じて、女性の美しくありたいと願う気持ちに寄り添う活動をスタートさせました。

MISS SHISEIDO - 1934
REVIVAL - 1948

REVIVAL - 1948

戦時中の活動休止から一転、再び輝き始めるミス・シセイドウ

戦後、再び女性たちが輝く時代がやってきます。ある年のミス・シセイドウの募集には1,300名近い応募がありましたが、合格できたのは15名でした。戦前にも増し、憧れの職業となったミス・シセイドウは、女性の健康的な生活を応援する活動にさらに力を入れていきます。戦争を挟んでも途切れずに受け継がれたのは、お客さまを美しくしたいという気持ち、活動、そして「おもてなしの精神」でした。

EVOLUTION - 1959

ミス・シセイドウが美容部員へ進化

高度成長期を迎えると、女性たちのライフスタイルも大きく変わっていきます。宣伝が主な活動であったミス・シセイドウも、より活動の場を広げるため販売スタッフと一体化し、「美容部員」と改称します。百貨店や専門店などの店頭へ足を運んでくださるお客さまが増えていくにつれ、美容部員を求める声が全国で急速に広がっていきます。資生堂は何よりもお客さまを大事にするおもてなしの心を大切にしたいと考え、美容部員に徹底した教育を行いました。

EVOLUTION - 1959
GLOBALIZATION - 1990

GLOBALIZATION - 1990

ビューティーコンサルタントとして世界に羽ばたく

性の社会進出が進み、人生の選択肢が増える中で、女性たちはより自分らしい美しさを求めるようになります。そこで、改めて「お客さまお一人おひとりの美しさの実現に向けたお手伝いをさせていただく」ことを表現する呼称として「資生堂 ビューティーコンサルタント(BC)」に変更しました。

DIVERSITY - 今日

お客さま一人ひとりの美のパートナーへ

お客さまのなりたい美を一緒に創り上げる“パートナー”になることを表現するために、2022年に「パーソナルビューティーパートナー」(PBP)と呼称を変更しました。そして、新しい生活様式になった今、お客さまの生活環境の変化やニーズにあわせた美容体験が提供できるよう、従来の店頭での対面応対だけでなく、WEBカウンセリング、SNSでの情報発信、電話カウンセリング等、PBPは活動の場を拡大しています。

DIVERSITY - 今日

女性の美を導くスター、ミス・シセイドウ

資生堂の企業文化誌『花椿』に掲載された、山崎まどかさんによるエッセイです。当時のミス・シセイドウの存在が、女性たちにとって憧れの的だったのが分かります。

著:山崎まどか

文筆家。本や映画、音楽などのカルチャー全体に精通し、特に女子文化のセレクト&紹介者としては他に追随を許さない存在。女性誌をはじめとして多数のコラム掲載、寄稿を持つ。